旅行・地域

ホステルいろいろ

カナダに来てから今までに「ホステル」と名のつくところに22カ所、約100泊以上(見学しただけ2カ所も含む)してきました。
つまりカナダのでの3分の1は、「ホステル」での暮らしということになるわけです。
さて、ここで出てきている「ホステル」ですが、もしかしたらあまり聞き慣れない言葉かも知れませんね。
この意味ですが「hospice」な「Hotel」の造語であるという風に聞いたことがあります。
つまり

「誰もが寛容に受け入れられサービスを受けることが出来る宿泊施設」

という意味です。
実際、宿泊してみてわかりますが、年齢・性別・国籍などなど関係なくいろんな人たちが毎日入れ替わり立ち代わりでやってくる非常にエネルギッシュな場所となっています。
この「ホステル」には、大きくいうと2種類のものがあります。
一つは、「Youth Hostel」、もうひとつは「Backpackers」です。
これに何のちがいがあるのかというと、

「経営する側の理念とそれぞれの施設面での若干の違いある、その中で特に、YHの方が世界的なネットワークをもち全世界的に情報を発信している。」

といったところです。
ただし、「でもようわからん。もっと具体的には?」と聞かれると、

「実は、泊まる側にとっては大きな違いがない」

ということが実情ではないでしょうか。
どっちも、基本的は相部屋形式で、料金もそんなに変わらんし、客層としても似ている感じですから。
さて、今日から「HI-Vancouver Central」という所に泊まっています。
ここで2泊して9日から「HI-Vancouver Downtown」に移る予定です。
両方ともダウンタウンにある「Youth Hostel」です。
最後の最後まで「ホステル」での生活が続きます。

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Dec 7 . 05 / Vancouver

昨日宿泊していたBackpackersの近くにある「蒸気時計」です。
何とも味のある時計で、時間になると学校のチャイムのような音で時を知らせます。
実は、日本にもこれと同じものが小樽にもあります。

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今日もJuneau

「Yukonに行かない?」と誘っていただいた方の奥さんが病気のため出発が一日延期。明日の早朝になりました。
まあ、もともとJuneauに5日間いるはずだったんで1日延びたところで「まあええか」。
そんな訳で、今日は、Mt. Juneau,(3576 feet=約1,200m)に一人で登ってきました。
Mt. Juneauは、Juneauの街のすぐ裏にある山である。
標高だけを見ると、僕がよく登ってた滋賀県にある比良山系と変わらないのですが、山の生態系が全然違います。
もともと南東Alaskaは、氷河の後退によってできた場所であり、今でも多くの場所で氷河がみることができます。これは、Juneau周辺も例外ではありません。さらに、山々は標高1,000mから高山帯になります。これを日本の北アルプスで例えると、僕がいるところ(Juneau)は、ちょうど登山口のあたりであり、そこから北アルプス(Mt. Juneauなど)が見えているといった感じでしょうか。
海を見ながら、氷河のついた山に登れる、なんとも贅沢な話なわけです。

Mt. Juneauまでは、ダウンタウンから約2時間くらいで頂上へ。そこからJuneauの街を見下ろしてきました。BCの方の山火事の影響で全体的にもやっていましたが、天候にも恵まれ、風も気持ちよく、心地よい時間を過ごすことが出来ました。

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Aug 12.2005 / from Douglas Island

Juneauの対岸Douglas Islandからの町並みとMt. Juneauです。

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Alaskaで一儲け!?

Petersburgは、アラスカでサケの漁獲量が一番多く約50%の水揚げがあるところです。ここには、多くの水産業関係の企業があり、町の収入のだいぶんがその関連から得ています。
昨日同室の人で、「今日まさに漁業関連会社をやめてきた」という人と出会い話をしました。
その人曰く、

「ここで働いたら1日$300US稼げるで!!月で$10,000US!!」

とのこと。
でも、

「1日16時間労働。体調が悪かろうが何んだろうが働かさせられるし、寝るところも狭いところに12人押し込まれ、おまけに鼻について離れない魚のにおい。体中、魚の血まみれになるし、指先の第一関節は、作業し過ぎて感覚がなくなるで〜。」

ということらしい。

「お金のためとはいえ、すごい環境で働いてたんやなぁ...でも、やめたくなる気持ちもわからんではないなぁ。」

と思いました。
もし、

「お金をどうしても稼ぎたい!!」

と思ったら「Petersburg」に来てみてはいかがですか?

追記;
同室の彼は、今度は、アメリカ中で起こている災害現場の普及作業を行うために、$30,000くらいする作業トラックを買って仕事をするらしい。

「これはすごいお金になるし、アメリカ中で仕事があるのさ。すぐに俺はRichman!!」

と豪語していたのだが、そんなにうまく行くもんなのかなぁ。
アメリカンドリームは、今なお人の心をくすぐるようです。

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日本の都市の知名度

カナダに来てもうすぐ7ヶ月が過ぎます。
その間多くの人たちと出会いました。
出会った時に必ずお互いが聞くことが、

「名前は?」
「どっからきたん??」
「どれくらいいるん???」
「何してんのん????」

ってことです。
今日はこのうちの「どっから来たの??」についてちょっと書こうと思います。
この質問に対して、まずは、

「I'm from Japan!!」

と答えます。この時点では、ほぼ100%の人が納得してくれます。
で、次に、

「日本のどこから??」

って聞かれますので、一応、最終居住地で知名度もあるであろう、

「Kyoto!!」

と答えるのですが・・・わかってもらえる確立、

「10%以下」

です。みんな

「Tokyo??」とか「そこは北のほうか?」

などと適当なことを言ってくれます。
日本にいたときは

「京都」

って世界的に有名なまちやと思ってたのに・・・

「自分たちが思ってるほど他の人は知らないもんやなぁ。」

と改めて実感しています。
ちなみに日本人以外の人が知っている「日本の地名」ベスト5(僕の主観ですが)は、

「東京」「北海道」「大阪」「広島」「沖縄」

です。
そうそう「京都」は、「場所」や「どんなまちか?」ということはみんな知りませんでしたが、40%くらいの人は、

「京都議定書のところか!!あれは、大切やなぁ」

とは言ってくれます。
世界的にも、温暖化に関する問題は興味深い話題のようです。

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カナダの素顔 「Toronto」編

人口約350万人。カナダ最大の町「Toronto」。カナダの経済や文化の中心的な場所であり、映画の舞台としても数多く使われています。
街中には、「中華」「韓国」「ギリシャ」「イタリア」などの移民たちが作った街が点在していてそれぞれの雰囲気を「ちょっと」楽しめます。
「Toronto」は、常にNYCを追いかけている?ようですが、活気や、街の規模で言うと、「NYC」を「東京」と例えるなら、「Toronto」は、「大阪」といったところで、先に「NYC」を見てしまうと

「え?・・・あ〜・・・まあ、カナダやしね・・・。」

ってことになってしまいます。
個人的には、「NYC」もそうなんですが、「Toronto」も住めば面白い街なんやろうなぁと思います。というのも、都市であり、「観光」をするのには、特に「これ!!」って言う目玉は、CNタワーくらいで正直、「面白い!!」って感じではないですが、いろんな人たちが住んでいて、それぞれのコミュニティを作り一所懸命に生きている場所に思えたからです。
まあ、「観光」が

「面白くない!!」

と思ったのは、オフィス街が立ち並ぶのもさることながら、僕が訪れたのは、カナダの休日「Victoria Day」を含む3連休で、どっこも開いてなかったから余計にそう思ったんですが・・・。
日本なら、休日と言えば、観光地や、美術館、博物館などは「ここぞ!」とばかりに開けてお客さんを迎えるのですが、カナダでは、きっちり「休みは休み」になりますので要注意。

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May 23.2005 / Toronto

いちおうCNタワーの下まではいったんですが、あまりにも高かった(世界最大の高さもそうですが、登るだけで約$20!値段も高い!!)ので下から見るだけにしました。またいつか登る日もある??に違いない。僕の人生の宿題ということで。

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カナダの素顔 「Niagara falls」編

ひさしぶりに。

「Niagara falls」は、その名の通り「Niagara falls」で有名な町です。カナダの観光都市の一つにも挙げられる場所で、誰もが一度や二度は

「行ってみたい!!」

と思ったことのある場所だと思います。
「Niagara falls」へは、トロントからバス・列車で約2時間のところで日帰りする観光客も非常に多くいます。また、宿泊する人の多くは、「On the lake」にある高級ホテルに宿泊して、近くのカジノで遊びや高級(そうな)飲食店で食事をしたりとリゾートをようです。

とまあ、一見かなり華やかな町に思えるのですが、実際はそうとも言い切れません。

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May 20.2005 / Niagara falls

上の写真は、「Niagara falls」メインストリートです。
見てもらったらわかるように、町の中心部は閑散としていて、日中でもほとんど人の行き来を見ることが出来ません。また街中に建っている住宅や、その住宅の庭も高級住宅街というには、ほど遠い様相です。その上、街中にある多くの店は、5時頃になると閉店するため、夜は、本当に寂しい町並みになってしまいます。

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May 20.2005 / Niagara falls

「On the lake」の方はこんなにも、きらびやかなのにも関わらず。
観光地における光と陰を見た気がしました。

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カナダの素顔 「Halifax」編

昨日に引き続き「カナダの素顔」第2弾です。

今日は「Halifax」について。

「Halifax」はNove Scotiaの州都で人口約30万人の都市です。もともと、フランスに対抗するために英国がつくった軍事拠点がその始まりです。当時の雰囲気は街の至る所に残り、非常にアイリシュな香り漂いていて、「落ち着いた大人な感じ」のする街です。
あとで知ったんですが、なんと

「ユネスコの世界遺産」!!!

に指定されているらしい・・・

「京都や白川郷と一緒やん!!」

とあとで一人でびっくりしてました。
本当に全然そんな感じはなかった・・・っていうか気づかなかったなぁ。

同様の雰囲気の、「Victoria」のほうが観光的にも知名度でも上でめっちゃ人が来てるのに。
といいつつも、個人的には、人が少ない分「Halifax」の方が好きなんです。
この調子でがんばってほしいと密かに願っています。

「Halifax」はじめ、カナダ東部はアイリッシュ系の人が非常に多いのでも有名です。
街の至る所にパブがあり、そこでは、「陽気な音楽」と「ビール」そして「人」が大好きなアイリッシュ系の人たちと出会うことが出来ます。
それも、昼間から。
ビール片手に陽気に盛り上がってる人たちがいっぱい。(うらやましい・・・)

アイリッシュ系のビールと言えば、日本でもおなじみの「ギネス」を想像されると思いますが、同様種のビールが大変多くありそれを好む人が非常に多いです。

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↑こんなかんじの。となりの「Fish & Chips」は最高!
今まで食べた中で一番おしかった。

この「ギネス」系(っと勝手に書いてますが)を注文すると非常に店員の受けがいい。「お前、ほんまにええねんなぁ」っと笑顔で言われます。

で、「ギネス」系もめっちゃおいしいんですが、「Halifax」では、全カナダ?的に有名なビールがあります。

「Alexander Keith's」

というのん。
これは、僕がカナダビールの中で3本の指に入るくらい好きなビール。
これは、「黒」というよりも「Light Beer」に分類されるもので「ギネス」とは正反対。でもそれが愛されてるっていうところがこのビールのすごさのだと勝手に思ってます。
で、このビールには、2つ種類があって、ひとつは、「Indian Pale」と言う種類で、全国どこでも売っていて飲めるビール。
もう一つが「Hanny Brown」という種類で、これは、なんと

「Nove Scotiaでしか飲めない!!」

にもかかわらず

「これがまためっちゃうまい!!」

個人的には

「全国販売してほしい!!」

で、さらに「Halifax」のすごいところは(って何がすごいのかわからんくなってきました)なんと

「Alexander Keith's」のBreweryがあるのだ!!

あんまりメジャーじゃないので、ほとんど、プライベートツアー状態で、伝統的なアイリッシュ音楽やダンスも見れちゃいます。もちろん試飲も出来る!!
すご〜い!!
ビール党にはたまらん街や!!

・・・・

すいませんちょっと盛り上がり過ぎました。

と密かに思っています。
まあ僕は、ビールよりも街の雰囲気が好きなんですが。
本当ですよ。

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カナダの素顔 「Montreal」編

これから、たま〜に、「カナダの素顔」と銘打ってガイドブックでは書かれない、超主観的都市情報をお伝えしようと思ってます。

第1回は「Montreal」です。
「Montreal」は、Quebec州の西側に位置する都市です。昔オリンピックも開催されたのでみなさんご存じだと思います。
この町は、1960年代にQuebec州全体で起こった「静かな革命」によって、フランス文化の復権とともに街中にある標識がすべてフランス語表示になっています。また、街中を行き交う人も、かなりの確率でフランス語をしゃべってますし、どの店に入ってもフランス語表示、フランス語での対応されるのではじめは非常に戸惑ってしまいます。(基本的に全員英語が話せれるで、フランス語がわからんかっても問題はありません。)
しかし、旧市街を中心にして、ヨーロッパの雰囲気が漂うため、非常に美しい街であり、誰もが「一度は行ってみた」と憧れる街の一つのようです。

そんな街を、僕自身は交通マナーの点から「ちょっと大阪ぽいなぁ〜」と思い親しみを持ちました。
なぜか?

「路上駐車」
「街を行き交う車の運転マナーの悪さ」
「青信号を待てない市民」

Calgaryに住んでいた時は、誰もが、きっちり守るので、
「カナダってこれが普通なんや」と勝手に思い込んでいたのですが。

「Montreal」は、旅の最初の宿泊地だったのでちょっと緊張気味の僕も、このマナーの悪さのおかげで?普段通りのびのびと旅が出来るようになりました。

DSCN0882
(May/4/2005/Montreal)
「ヨーロッパの雰囲気漂う美しい町並み」と「路上駐車」

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我慢比べ

今日は朝から雨がしとしと降っています。天気予報によると、この天気が一週間くらい続くそうです。
窓からしとしと降る雨を見つめながらふとある風景を思い出しました。

6月16日に立ち寄ったPort Hardyでのことです。
Prince Rupart行きのフェリーは6月は奇数日のみの運行のためその日は、どうしてもPort Hardyに宿泊しなければなりませんでした。午前中は、雨こそ降りませんでしたが曇天模様。昼過ぎから、ついに雨がしとしとと降ってきました。その日に限ってテント泊。Port Hardyはとっても小さな田舎町なのでどこも行くところがなく(民族博物館があったんですが週2日しか開館しておらず、その日は閉館日)入り江のを取り囲むようにあるTrailにある唯一のあずまやで恨めしげに空と入り江を眺めていました。
夕方頃になり、あたりも徐々に夜の準備でもはじめようというころに、一羽の鷲が空を飛んで、入り江のほとりに立つ一番高い木に止まりました。もちろん雨は、まだ降り続いています。
全くその日の予定のない僕は、あの鷲が「なせ、雨の中あの木の上に止まったのか」が不思議でなりませんでした。そこで、じっと観察することにしました。
観察をはじめて、10分、20分と時間が過ぎましたが、いっこうに鷲は動こうとしません。40分、50分。まだ動きません。その間も雨は静かに降り続いています。
1時間もゆうに過ぎた時、僕のいるあずまやに、Quebecから来ている老夫婦が訪れました。彼らは、どうやら先ほどブラックベアを見たらしく、子どものように少し興奮しながら僕に話をしてくれました。
僕もその話に興味を持ち一瞬だけ目を離し、彼らの話に耳を傾けました。時間にして1、2分のことではないでしょう。
再び、鷲の居た木に目を戻すと、もう、その姿はどこにもありませんでした。
「いったい何を思ってあの木の上にいたのだろうか」
「もしかしたら、僕につきたってくれていたのではないだろうか?」
答えのない問いが、僕の頭の中を駆け巡り、想像力を豊かにしてくれます。
今日もどこかで、何かを思い見つめているあの鷲がいるということで。

DSCN1915
僕が見つめていた入り江の様子です。はじめの頃は。
これが、数時間後には、

DSCN1917
すっかり様子が変わりました。約1mくらい海水面が上昇しました。

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潮の満ち干する音

「自然が作り上げた造形物は、人智が及ばない。」
そんなことをカナダに来て感じることが多くなりました。
Prince Rupertから北東に約5kmいったところの海岸沿いに、Butze Rapits Trailがあります。
そのTrailを歩いていると突然「ゴー」と言う地鳴りが響いてきます。この辺りには大きな川もないはずなのに。
音の方へ行ってみると、太平洋の方から海水が押し寄せてきていました。
先ほどまで、潮溜まりが出来ていたところは、あっという間に、海へと戻って行きます。僕が歩いていた海岸線も。
自然が作る天然の洗い堰は、24時間に2度流れる方向を変え、巨大な音とともに、「地球は生きている」ということを僕にそっと教えてくれました。

DSCN2054

(地理の補足説明)
僕がいるPrince Rupertは、Kaien Islandにあります。(つまり今僕は島の上で生活しているわけなんですが)この周囲には、大小多数の島があります。(Queen Charlotte Islandsがその一部であり、ちょっと北に行くと東南アラスカの島々です。)また、このあたりは複雑に入り組んだ入り江や、島々の間を縫うように存在する海があります。そういった地形が複雑な潮の流れを作り出しています。
Butze Rapits Tarilは、Kaien Islandと北アメリカ大陸にある海峡の中でもひと際狭い部分の近くにあるTrailです。

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旅の途中で

1ヶ月いろんなところを行ってきてよく人にどこが一番よかったと聞かれます。その答えは僕にとって非常に難しく、いつも「あそこもよかったし、あそこもよかった・・・」といってるうちにすべての場所を挙げることになってしまいます。それくらい、どの街も魅力的でした。
今日はその中で、一番感傷的になった街での出来事を紹介します。
場所はNYCのグランドゼロでした。みなさんもご存知の通り9.11があった場所。今はただの工事現場になっていますが、そこを訪れた時から不思議な感覚がありました。そして、風景を眺めていると不思議と涙が溢れてきたのです。悲しみでも、怒りでもない不思議な感覚。それも自分だけがその場で涙を流している。僕自身普段泣くことは非常に少なく、映画を見ても感動して泣いたことがないだけにいっそう不思議な気分でした。
「一体あの涙はなんだったんだろう?」
あのあとよく考えます。
この話を別の友だちすると、その友だちもも同じことを言ってました。その友だちはその場に止まることが出来なかったようです。
是非皆さん一度はグランドゼロに行ってみてください。何も感じないかもしれませんが、何かがある場所だと思います。
あともう一つ。
9.11のあとNYは非常に治安がよくなったようです(至る所に警察が立っているからだと思いますが)。だからというわけではありませんが、Harlamにいきました。昼間のHarlamは予想を大きく裏切り、非常に明るく開放的な感じがありました。もう、黒人問題を感じさせないくらいに。
そう思って歩いていると、壁に次の文章を見つけました。

Life's path is not always so clear.Many of us look, but still don't see .We hear but still don't listen.This doesn't mean that slavery does not exist. Jesus struggled through great obstacles so that we could learn how to be free ; how to find our way through darkness. Many of us will continue down a path of destruction like chained slaves moving toward their grave. Be free my friends be free.
- DELAVEGA -

NYCは、たぶん世界に類を見ないいろんな人が混在した街です。英語が公用語ですが、地区によってや人によって使う言語も街の空気も変わります。これだけいろんなものがごちゃ混ぜで存在出来る所はないと思います。でもその表の顔の裏には、そうでないものもきっと多く潜んでいるんだと思いました。

ひとの感性を刺激し、敏感にするのはなにも、大自然だけではないようです。

DSCN1322この写真は朝日に照らされたEmpire state Buildingです。朝6時30分頃だったと思います。夜中の1時2時でも眠らない街がこの時だけはひっそりとたたずんでいました。きっとこれから始まる新しい物語を迎えるための幕間だったんでしょう。

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地域性と人との関係5

今回は、「北部について」です。
北部には3つの準州(Yukon,Northwest,Nunavet)があります。もともとは、2つでしたが、1998年Nに、イヌイットとカナダ政府の協議の結果、「Northwest」を分割し東部に「Nunavet(我々の土地)」、西部に「Northwest」の名前をそのまま残す形で今の形が形成されています。
北部は、カナダの約40%の面積を保有しますが、3つの準州を合わせた人口は、約10万人と非常に少ない人口しかいません。(これは、カナダ全体の約200分の1、一番小さい州であるP.E.I(Prince Edward Island)とほぼ同じ数です。)
この地域に最初の訪れたのは、欧州から東インドに向けて新航路を見つけようとした人たちでした。その後厳しい自然環境であるこの地域を訪れる人たちは非常に少なかったようです。現在でも、時々周りのカナディアンたちに、北部へ行きたいという話をすると「なんで、行きたいのん?」と逆に聞かれることが度々で、カナディアンがあまり訪れない地域のようです。
再びこの地域が注目されたのが、1898年からのゴールドラッシュです。
そのとき栄えたのがドーソンであり、現在でもその時に建設された建物や道路が今でも多く残っています。ただ、このゴールドラッシュも10年あまりで収束を迎え、それ以降大きな発展を迎えることはありませんでした。その結果、現在でも、多くの自然が残り、過酷な自然環境と戦って順応した、動物たちの姿を見ることが出来ます。近年では、天然資源の埋蔵で注目されているようです。
この地域には、First Nationsが現在でも多く住んでいます。特に海辺で生活する人たちがNonavetに多く住んでおられます。彼らは、約4500年前にベーリング海を渡って、この地に住んだチューレ族の子孫たちです。彼らのことを北米のクリー族が「エスキモー(生肉を食べる人々)」と不快感を表す意味で使ったが、年月が経つうちに軽蔑語へと変わりました。現在では、彼らのことを「イヌイット(人々)」という言葉に置き換えられています。

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Calgary Zoo

DSCN0643先週の金曜日学校のアクティビティーで動物園に行ってきました。「Calgary Zoo」はダウンタウンのすぐ近くににあり、C-Trainで中心部から10分くらいのところにあります。動物は、世界各地から集められそれらが、各地域ごとのセクションにわかれていて飼育されています。その中でも、特に広いエリアはカナディアンの動物たちのコーナーでした。

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僕たちが金曜日の平日の午後にいったのですが、入場するのに人の行列ができていてまずびっくりしました。というのも、その日は春休みやデイケアーが昼までのところが多かったからのようですが、予想以上にCalgary市民が好きな場所の一つなんやなぁということに気づかされました。

DSCN0646この動物園で驚いたのは、行列もさることながら、動物園の中に電子レンジがあることです。日本のイメージだと公共の施設に電子レンジ??なんですが、こちらでは、みんな自分たちのお弁当をもってきて、電子レンジを利用して食事を、というのがごく当たり前のようです。日本の愛知の某所や、宮城の某所などではお弁当がだめだという話とはだいぶん違うようです。

DSCN0649この日の動物たちの様子は、多くの動物が、春眠暁を覚えずといったところなんでしょうか、それとも、冬眠まだ覚めやらずといったところなのか、ほとんど仕事?をせずにごろごろとしていたのが印象的でした。

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Alberta 第3の都市

一昨日から、Easter Holidayで4連休です。
Host motherとWilliamは、実家のあるVancouver IslandにあるNanaimoへ里帰り。
Host Fatherと2人、Calgaryに残っています。
というわけで、おとつい、昨日と2人で旅行に行ってきました。
旅行の目的は、WHL(西部Jr.ホッケーリーグ)のプレーオフを見にいくためです。(これについては、また後日書きます。)
行き先は、Calgaryの南東にあるLethbridgeというところでした。「Lethbridge」の名前由来は、このまちを作った人の一人のLast Nameだそうです。ここは、米国国境まで、車で約1時間という国境近くの街で、人口は80万人弱。風が非常に強い街として有名で、「Lethbridgeに行く」というといろんな人から、「飛ばされないように」と言われました。特に、学校の先生からは、「Host Familyに大きい石を用意してもらって、ポケットに入れていくように」と注意をうける(当然冗談ですが)ほどのところのようです。この街の名所は、世界最大の高さと長さを誇る鉄橋と、かつて北西部騎兵隊とFirst Nationsが戦った記念の公園です。
そして、この街で私たちにとって忘れては行けないのが、日系人をはじめとした強制収容所があったことです。カナダでは、2万人強の日系人が強制収容され、そのうち6,000人がこの「Lethbridge」の収容所に抑留されました。
カナダ政府は、1939年9月10日にドイツに宣戦布告し、第二次大戦に参戦します。その後、英国の依頼により、ドイツやイタリアの捕虜を受け入れるための収容できる施設をAlbertaなどに建設します。(カナダの全施設あわせて約4万人の主に北アフリカで捕虜になったドイツ・イタリア兵が収容されました)1941年12月7日(日本では8日)に、日本は真珠湾をし、宣戦布告し参戦します。それをうけカナダでは、1942年1月、230万ドルの費用をかけ、1万人の囚人を収容出来る施設をAlbertaでの3カ所建設します。(この他にもB.Cに2カ所など)建てます。それらが建設されたのが、Kananaskis(ロッキー山脈の近く)、Medicine Hat(Saskatchwan近くの街)そして、Lethbridgeです。


DSCN0593戦後、この施設は、解体され、日加間の関係修復がはかれ、1967年過去を乗り越え新たな歴史を作ろうとの願いをこめて、その地に、日加友好記念庭園が作られました。開園は、5月中旬から10月半ば頃までとうことで、僕が、訪れたの時は、まだ開園されておらずまわりからしか見ることは出来ませんでした。


DSCN0594この公園の近くには、大変大きな公園があります。カナダの公園の特徴だと思いますが、この公園も同様に、周りはいっさいフェンスなどで囲まれることはなく、非常に解放的で、周り風景と一体化された感がありました。ただ、訪れた日は、気温は7℃で、曇り空。風も非常に強い一日で、あまり多く人は見かけませんでした。

DSCN0600この公園は、Canada Gooseの生息地として保護されているようで、非常に近くでその姿を見ることも出来ます。


Nikka Yoko Japanese Garden

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地域性と人との関係4

今回は西部です。といっても、ブリティッシュ・コロンビア(B.C)だけなんですが。
ここに、入植を行ったのは、英国系の人たちでした。
その目的は、同じ、海岸線沿いである大西洋側が、漁業を中心としていたとは違い、ビーバーの毛皮を目的にしての入植でした。
これには、話があって、1778年に、キャプテンクックの船がバンクーバー島に立ち寄りました。この時、船員の一人が、そこに住んでいた人たちと1シリング分の装飾品とビーバーの毛皮を交換しました。航海の途中、クックは殺されるが、彼の船は、中国に立ち寄りこの毛皮を、商人に売ったところ90ポンドもの高値で売れました。これ以降、多くの人たちが入植するようになりました。この、毛皮交易は、この地域に元々住んでいた人たちに光と陰を落としました。いい部分では、彼らはこの交易により莫大な富を得てトーテムポールをはじめとする文化は最盛期を迎えた。がその反面、アルコールと伝染病、白人至上主義などが彼らの生活の中に入り込み、心身ともに蝕まれていくことになります。

今日このB.Cには、多くの日系人や中華系をはじめとした人たちが多く住んでいます。中華系の人たちのことは以前書きましたので、日系人の人たちのことについてまつわる話をひとつ。
19世紀後半から20世紀にかけて日系人も多くブラジルなどと同様に新しい暮らしを求めカナダへと移り住みました。
しかしその人たちの生活が一転する出来事が起こります。
太平洋戦争の開戦です。
これに伴い、日系人は、日本人のスパイと見なされ、住むところを奪われ太平洋岸へと移り住まわされることになります。これは、米国と同様の政策です。
その結果、今日日系人の多くが、西海岸に住んでいると言う訳です。

このことについて、Host Familyに謝罪されたことがあります。
僕自身、このことについて正しい認識がなかったので言われたときは驚きました。と同時に、日本でも同様のことが行われた事実がありますが、それについて教育されている訳ではないですし、加害者の意識を持って謝罪するということは、皆無に近いなぁと思いました。

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地域性と人との関係3

今回は東部についてです。
東部には、オタワ、トロントなどの大都市が集まるオンタリオ、フランス語件で有名なケベック、大西洋漁業の拠点であるニューファンドランド・ラブラドール州(セント・ジョンズ)、赤毛のアン(原題:Anne of Greengables)でおなじみのプリンス・エドワード・アイランド州(シャーロットタウン)その他、ニューブランズウィック州(フレデリクトン)、ノバスコシア州(ハリファックス)があります。

この地域には、はじめ東インドへの航路を見つけるために、多くの冒険家が探索を行うために訪れています。本格的に移住をはじめたのは、17世紀の初頭。フランス人です。ですが実際のところ、アイリッシュ系の人たちが漁業の拠点としてニューファンドランド島へ移り住んだほうが数百年早いようです。
英国からの移民もフランスからの移民と時を同じにして始まりました。

1759年、英仏戦争の後、パリ条約が結ばれてフランスは、ニューファンドランド島沖のサンピエール島とミケロン島を除くミシシッピー以東の全植民地を英国に割譲することになりました。
しかし、英国統治下に入った約6万人のフランス系住民は、言論と宗教、アイデンティティを守ることを英国政府に要求、ケベック法(1774年)を英国に制定させました。
1778年、アメリカ合衆国が独立すると、ロイヤリスト(王党派)と呼ばれる、英国王に忠誠を誓う英語系植民者が大勢カナダに逃れてきた。彼らは主にNove ScotiaやNewbrunswickの他、五大湖周辺に移り住むようになります。
人口の増加に伴って、1791年、アッパー・カナダ(現在のオンタリオ州:主に英国系)とローワー・カナダ(現在のケベック州:主にフランス系)が創設され、それぞれ代議・統治制度をもつことを英国本土から認められるようになります。
カナダにおける州のはじまりである。そして、今なお残るケベックの問題の原点でもあります。

このように、歴史を見ていただいたらわかるように、東部の移民の中心は、英国系(太平洋岸では、特にアイリッシュ系)とフランス系が多いということがわかってもらえると思います。
実際、現在でも東部は、アイリッシュ系とフランス系が多く、西部や中部に住む人たちは、東部のひとたちのことを、「毎日アイリッシュ音楽を聴ながらビール(当然ギネス)を飲んでいる陽気でちょっとFunnyな人たち」と表することを耳にします。ケベックに関しては、やはり独立うんぬんのこともあるのだと思いますが、英語を母国語とする人たちにとっては、やはり違う国のように写っている側面もみられます。
ただ今後東部へは訪れる予定ですので、この中西部のカナディアンが表するステレオタイプ的以外の側面も紹介出来たらと思っています。

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地域性と人との関係2

昨日は、中華系の人たちを中心に書いてみましたが、今回から、西部(BC)、中部(アルバータなど)、東部(オンタリオ以東)、北部(3準州)にすむ人たちについて書こうと思います。なお、この西部、中部、東部、北部の分類は、個人的にわけたものです。

まず最初は、今僕が住んでいる中部から初めてようと思います。
カナダに人が入植をはじめたのは、まず、東部からでした。これは、欧米、特に英国、フランスとの距離的に近いということが最大の理由だと思います。その次は、西部へひとが住みようになり、最後に、中部へ人が住むようになりました。
なぜ、中部が一番最後になったのかという最大の理由は、気候が厳しく、水資源が乏しかったことが最大の理由です。とりわけCalgaryのあるAblretaは、ひとが入植するのが遅れた地域です。
20世紀初頭、政府の政策により、この人が住まない地域への入植を、東欧、特にウクライナの人を中心とした人に奨励されました。政策の内容は、彼らに対して、無料で土地を与えるというものでした。
なぜ、東欧の人たちに奨励したのか?その理由は、2つあります。
一つは、東欧特にウクライナと中部は同緯度にあり、気候帯が似ていること、また、農業、酪農に適した土地であり、彼らがその分野に長けていたこと。二つ目は、東欧の情勢が不安定であり、亡命を希望する人たちが当時から大変多かったことということです。

これらによって、この中部では、非常に多くの東欧系の人たちが住むようになりました。
以前、カナダの食べ物で紹介したプロギなどが典型的な家庭料理として残っているのもその名残です。
あと、Easteに巨大Eggを作ったり、卵を大地に埋めるという習慣この辺りではみられますが、それも同様に東欧からきた習慣のようです。

現在の中部は降水量が非常に少ないため、農業をする人の数は減少傾向にあります。その代わりに、天然ガスや石油といった資源が豊富にあることがわかり、その分野での発展がみられそれに伴う、人の分布も替わってきているようです。

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地域性と人との関係

異なる地域に来て、それもほぼ同じ人種ではなく、異なる多くの人が住む場所に来て、やっぱり「地域性と人は関係してるんだなぁ」と実感します。これは、人だけではなく、動物や植物がなぜその地域にあるのかという理由とも共通するものなんだろうけれど。

今日はその中でも、「カナダにある中華街」についてです。
カナダ西部の主要な街には、中華街があります。もちろん、僕の住むCalgaryにもあります。(これは米国でも同じようですが。)
移民の国カナダですから、その存在自身あって不思議ではないのですが、「中華街」以外に、民族が固まって街を形成してるのを見たことがありませんし、これだけ広域にひろがっているのも珍しい気がしました。そして飲食店を多く営んでいることも気になりました。

中華系の人が多くカナダに移住しはじめたのは、19世後半から20世紀はじめにかけてです。この時期、清はアヘン戦争で、英国に破れた後、太平天国の乱などの内乱や、列強の侵攻により国内の情勢はかなり不安定なものでした。ちょうどその時期、カナダでは1867年に東カナダの各州融合し、それに続いて1870年中部カナダ(Manitoba)が連合しました。1871年British Columbia(カナダ西部の州:Vancoverがあるところ)は、東部との融合に誘われていました。東部の州からの融合の条件は、大西洋から太平洋に抜ける鉄道を10年以内に建設してほしいというものでした。この事業は想像していただいてもわかるように大変大規模でかつ危険なものでありました。さらに当時の技術力では、たいへんな人手を必要としました。そこで、British Columbia政府は、米国の鉄道建設の成功事例から学び、安価で優秀だった中華系の人たちを労働力として求めました。前記したように清はたいへんな情勢不安だったために多くの人たちが新天地を求めてカナダへと旅立ったと思われます。その中でも特に僕が推測するのには客家人※1が多かったのではないでしょうか。
この鉄道工事は、政治的な思惑や資金繰り、ロッキー山脈を抜ける難工事など、大変困難を極め、一時は中止の危機もありましたが1885年にモントリオールから太平洋側の間を結ぶことができました。
しかし、この難工事のうらでは、アジア人労働者の約5%〜10%が、ダイナマイトとよりも、安価で危険性の高いニトログリセリンの使用によりなくなりました。

この大規模な工事に参加した多くの中華系の人たちの多くは、そのままカナダにとどまることを許されました。彼らの多くもそれを望みました。彼らは、鉄道沿線を中心にして街を形成するようになります。そして彼が、最初にはじめた仕事は、資本と技術そして、高度な英語の知識ををあまり必要としない、飲食店を営むようになりました。

※1.読み方は、はっかじん。彼らは、中国の中のユダヤ人と呼ばれ、古来周の時代に都を追われ、人里離れた場所に住みながらも、高い教育力と独立心と、独自の文化形態、言語を持つ人たち。世界の各地で活躍する中華系の人たちの多くは、客家人だと言われている。清の時代で有名な人を挙げると洪秀全(太平天国の乱:1850〜1864)。その他、李登輝、?ケ小平などがそうである。

The Canadian Pacific Railway Historyを主に参照。

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Banff

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23日、Banffに学校のアクティビティで行ってきました。
Banffは、カナダでは有名な観光地です。バンフの街自体は非常に小さい街で、1、2時間あれば、徒歩で十分街を一周出来ます。
町には、Springs(温泉。ただし日本と違って水着が必要)があったり、近くには数多くのスキー場や、トレールなどがあります。
学校のアクティビティでは、日帰りであったのと、観光が目的であったので上記のことは何もできませんでしたが。
では、何をしたのかというと、多くの友達は、ショッピングや土産物屋を巡っていたようですが、僕自身そういうことが苦手なために、ひとりでふらふらと街の周りの探検をしていました。
凍った川の上を歩いたり、今閉鎖されている駅に行き線路に入って遊んだりしながら。
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その中で、ひとつだけ観光らしいことをしたのが、「Buffalo Notions Museum」に行ったことです。
このMuseumは、First Nationsの衣装や、生活用具、また生活の様子をあらわすオブジェなどがおかれていました。写真は自由に撮影可です。入館料は、大人$8、学生$6です。(YH会員は割引あり!)
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さて、最後に、ぶらぶら歩いた感想ですが。
1.日本人がいっぱい。日本語がいっぱい。
  観光客も、働いてる人も日本人が多かった。
  こっちに来て一番日本人をみました。
  あちらこちらで日本語の張り紙をみました。
  圧巻だったのが、大橋巨泉のOKGolfという店。
  たぶん、店員全員が日本人だったと思います。
  店員同士の会話が全部日本語でしたし。
  「いらっしゃませ」って声かけられ違和感を覚えました。
  話のネタで入ってみたんですがすぐに出ました。
  日本人はきっといいお客さんなんでしょう。

2.スキーやトレッキングの拠点にするのはOKでも・・・。
  めっちゃ狭い町。景色は最高ですが。一日いたらOKて感じでした。
  街を見に行くだけなら各季節に1回行くくらいでええ感じだと思います。

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